古文書と共に
―古文書・愛犬・時々バイオリン―
我家(ホームページ)
私の書斎
古文書学習室
中野古文書同好会
和本挿絵展示室
洋書挿絵展示室
バイオリン練習室
私の古文書ライブラリ 其七
(表紙)
天保八年
取締方請印小前帳
酉 三月 山梨郡
江曽原村
天保八年 取締方請印小前帳
表紙の日付は「天保八年酉三月」となっているが、本文(八)に「当申年稀成違作」とあるのでこの本文が作られたのは天保七年である。この頃の社会情勢は、天保四年から連年凶作が続き、飢饉の限界に達した天保七年八月郡内騒動と呼ばれる一揆が起きた。これは郡内(都留郡のことでこの古文書の差出村のある山梨郡と隣接している)農民の蜂起にはじまり、甲斐一国を騒擾のるつぼと化した大打ちこわしであったとのことから、当然この地域も大きな影響を受けているといえる。
差出村の「山梨郡江曽原村」は現在の山梨市江曽原で笛吹川沿いにある弥生時代の遺跡、江曽原遺跡として知られている。また宛先の「八幡 御役所」は下記文献から御三卿の一つ清水領の陣屋が八幡北村(現在の山梨市八幡)に天保二年に開設され安政三年に廃されるまであったとされる所と思われる。
本文(八)の「去ル巳年御仕法被仰出候」とは天保五年に各支配村々へ出された廻状のことで、下記文献によると内容は次のようであったと記されている。
『近来、武州・上州など他国から、無宿悪徒どもが多勢甲州村々へ入込んでいる様子で、在方を俳御して盗み悪事をはたらき難題を申し掛けて金銭をねだり取り、また、農業の妨げともなっている。その上、甲州内部にも、百姓・町人の中に、長脇差を帯び歩行する者が現われているので、取締として三分代官(甲府・石和・市川〉が申し合わせ、出役を差出し、田安領・清水領・甲府勤番支配役知の差別なく、国中廻村させることになった。(後略)』
このように凶作による社会情勢の悪化にともない、無宿悪徒の横行を、他支配・他領の複雑に入りまじった支配関係のもとにおいて、それぞれの支配所かぎりで取り締まることは不可能になっていたことを示している。
このような状況において農民の取り締まりを行うために表題の取締方(関東取締出役と考えられる)から出されたのがこの小前帳と思われる。
参考文献
『山梨県の歴史』 磯貝正義、飯田文弥共著 山川出版社
(一)
村々取締方之儀申渡
一前々従
公儀被 仰出候御法度之趣、弥以堅相守可申事
一近年世上奢ニ長し、百姓共風俗悪鋪相成候より
品々不宜義出来候ニ付、已来風俗立直候様、
村役人者不及申ニ、村中一同厚く相心得仕来ニ而
茂、不宜義者改革可致候事
一衣類食物家造等者勿論神事祭礼婚礼
(二)
仏事等格別ニ相成候より及困窮候儀ニ付、小前末々
迄篤と申合、質素倹約専一可取計、尤倹約と
吝嗇と混合不致様、相心得可申候、万一心得違
ニ而不相応之仕業等有之ニおゐてハ急度可申付事
一村々火盗之難有之候者、多くハ無宿盗賊博
徒之類、村内致徘徊候を制方不行届故之儀ニ付、
村中一同申合遂穿鑿、悪者者勿論無商買
之者等村内ニ不差置、右様之者不立入様心附
(三)
夜中茂無油断見廻り、怪鋪体之者見当
次第搦捕、不取逃様致手当、可差出事
一村々之内不身持ニ而、聊之心得違等有之者江者
不捨置、村役人親類組合より厚く理解申諭、本
心ニ立帰農業出精いたし候様可取計、若其上ニも
不止事不身持ニ而、農業不精之者者密ニ而も
可申聞候事
一村々公事出入有之者困窮之基ニ付急度
(四)
相慎、双方共不実ニ無之候得者、及出入ニ候義者無之筋
ニ付、万一無余義事出来候共、可成丈ケ於村方ニ和
融内済致候様可取計候、若出入之腰押等致候者、
又者難立義を強而願立、或者大勢騒立候義者徒
党ニ付、右様之類厳敷遂吟味候条、心得違之者
無之様、常々小前末々迄可申聞候事
一村々ニ而博奕賭之諸勝負事、相催候得者自
然と無宿盗賊之類入込、又者若者共風俗
(五)
悪敷相成候義ニ付、居村之者共者勿論、請村組
合村々よりも相互ニ遂穿鑿、仮令一銭二銭之取
引、又者紋付唐ごた投銭之類、十五才已下之子供
たり共、博奕之筋者厳鋪相制、親々よりも厳重ニ
教諭致、其上ニも相催候ハゝ幼年之者たりとも
差押可差出候事
一婚礼之節者貧福之身元ニ依らす、郡中
一統一汁一菜(其)所有合之品ヲ以、軽き酒肴差
(六)
出、衣類之儀も村役人者妻子共細布木綿、小前者
布木綿計り可着、櫛、簪笄者、銀、鼈甲之類
不相用、村役人親類向ふ三軒両隣ニ限り相招
可申候、紗綾、襦緬其外花麗之衣類相用不申
大勢打寄無宜之費無之様取計、前々御触之
趣堅く可相守事
一婚礼其外祝義事、又者道祖神祭礼之
節等、若者共難趣等申掛、或隣村抔より聟
(七)
嫁之節通行之途中ニ而、金銭等為差出候様成
儀有之哉ニ相聞、揺り同様之不業以之外之義
ニ付以来急度相止メ、万一仕来抔と不相止村方者
厳敷遂吟味候条心得違無之様可致事
一無宿者火附盗賊之類差押差出候得者、村
入用相嵩候を厭ひ、悪者と乍存見遁候村方も有之
哉ニ相聞如何事ニ付、以来者御領知内村々五六ケ村ツゝ
組合を立置、兼而相図等之義も申合置、悪者
(八)
入込候ハゝ搦捕可差出候、有宿ニ無之悪者差押
差出候、入用者組合村高割ニ而可差出事
一社倉穀之義者万一凶年打続候節之御救筋
難被為届義ニ付、去ル巳年御仕法被
仰出候得共未タ充実無之処、既ニ当申年稀成
違作ニ而郡中難渋之折柄、御手当方も行届兼
候義ニ付、村々役人者勿論、百姓共之内身元ケ成
之者共者、取続方相成兼候実ニ難渋之もの
(九)
共江米穀金銭ニ而も施し差遣し、又者融通等
いたし為取続候様可取計候、尤追々奇特之筋有
之者者村々役人より可申立候事
一葬礼仏事等之義も貧福之身元によらす
一汁一菜之外、酒肴等決而不差出、親類組合
村役人并向ふ三軒両隣之もの共ニ而、手軽ニ営
み可申候事
一常々農業出精いたし両親に孝行を尽、
(十)
夫婦兄弟中能、朋友之交り誠を尽し、下人者
主人を大切ニいたし候義者人道の常なから格
別忠孝奇特之者有之ハ可申立候事
右之趣被 仰渡候処、小前末々迄不洩様篤と
為読聞、承知之上印形取之、万一心得違之者
とも御座候ハゝ、何様之御咎ニも可被仰付候、為
其、村中惣連印形取揃奉差上候、以上
(十一)
天保八酉年三月 山梨郡 江曽原村
名主
多右衛門㊞
長百姓
仁兵衛 ㊞
百姓代
惣右衛門㊞
(十二~十七省略)
(十八)
八幡
御役所
Copyright © 2018 Masaki Tanaka, All rights reserved.