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 古文書と共に

        ―古文書・愛犬・時々バイオリン―


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 挿絵は当然ながら著された物語の内容を視覚的に表現したものである。 画家は登場人物の顔や容姿そして場面の背景に至るまでを描くには、著者と同じ、あるいはそれ以上の想像性を持っていなければならない。 さらにそれを的確に版木に彫る技を持つ彫師がいて芸術ともいえるこれらの挿絵ができあがるのである。


里見八犬伝 滝沢馬琴著

和本の装丁(表紙)にされてしまった浮世絵

表紙




礒田湖龍斎(いそだ こりゅうさい)
生年: 生没年不詳
江戸中期の浮世絵師。俗称礒田庄兵衛,名は正勝。江戸小川町の旗本土屋家の浪人という。両国薬研堀に住した。明和期(1764~72)には一時鈴木春広の画名も使用。明和前期より鈴木春信風の美人画を描き,柱絵にもすぐれた構図感覚をみせた。安永期(1772~81)には重厚感ある独自の美人画風を確立し,「雛形若菜初模様」は錦絵に大判サイズを定着させたシリーズである。小説挿絵も若干描き,絵本には安永8(1779)年『役者手鑑』,天明6(1786)年『北里歌』など。安永末ごろに法橋に叙せられ,以後は肉筆画に専念した。「法橋湖竜斎」の落款を有する肉筆美人画は今日数多く伝存する。『朝日日本歴史人物事典』

彫師寺田弥助の匠の技

 
 

王舎城 法華経の会座
『観経隠彰義』江戸版本挿絵
木版彫師 寺田弥助

歌川国貞の寺子屋風景





光琳百図





酒井抱一は一八〇九年(文化六)下谷金杉大塚村の雨華庵へ転居, 以後ここを制作の本拠地とした。一五年光琳百年忌に際して遺墨展を開催して顕彰, その成果を《光琳百図》にまとめ,同時に《尾形流略印譜》も出版し, これを契機として本格的に繪画制作へと向かった。 また二三年(文政六)尾形乾山の墓碑を巣鴨の善養寺に発見し, 《乾山遺墨》を編集した。

歌麿の鳥(複製版画の技術)

 

印刷技術が高くなかった時代には木版が盛んに用いられた。
明治になって浮世絵の彫版技術者が時代の要求に従って出版に携わった。 これは浮世絵の複製ではあるが精緻さにおいては最高の技術である。

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